2017年01月22日

ご無沙汰しました

長くブログをアップしないでご心配
おかけしました。12月23日から
1月12日までずっと実家にいた。

入院中だった父が危ないと電話が
来たのが23日の朝、飛んで行ったが
危機は去ってそれからはずっと実家に
泊って毎日母と病院に行っていた。

(ここからは記録として書くので
スルーしてくださってかまいません)
父は2015年秋胃と腸にがんが見つかり
高齢だったが腸の方は腸閉塞手前と
いうことで、胃の方もどうせ手術に
なるのだからということで全摘に
なった。転移もなく、12月半ばに
無事退院したがその後は認知もある
ため、食べたくないから食べないと
食事をとらせるのが本当に大変で
母が苦労した。

結局食べず痩せてしまい同時に体力も
なくなり、去年は一年間で誤嚥性の
肺炎を何度も起こして入退院の繰り返し
だった。さらに、認知症の薬が
どうしても水様便になってしまい
そちらの方も母が大変だった。
 11月にも誤嚥性肺炎で入院、ひと月
くらいで退院して、もう肺炎に
ならないように食事がとれるように
ヘルパーさんを頼んで食事の管理や
食べ方などできる限りの注意をして
いたのに退院して1週間後の12月8日
またしても誤嚥性肺炎で入院。

それも何とか抗生剤の点滴で回復し
どうしても誤嚥してしまうため
お昼ご飯の時(もうムース食)
病院の看護婦さんやお医者さん、
それに食事指導の人たちに囲まれる中
焦って食べてのどに詰まらせて
危うく窒息死。その日はちょうど
退院後のことで主治医との話もあり
もう歩くことも大変になっていたので
一月そうそうに、長期療養型病院か
老健に移るということで母も納得
していたばかり。大騒ぎになり
わたしと母は病室から出てその間
1時間くらいでリカバリー。でも
あちこち管だらけにされていた。
それでも翌日には管が何本か外されて
いたのでまた少しずつ回復するのかと
思っていたがそこが父の底つきだった
よう。

家族は延命は希望していなかったので
19日から父は脱水を補う程度の
点滴と、またしても肺炎になったので
抗生剤を数日間点滴していたが
もう食べられないのだから衰弱して
行くばかり。母とわたしは毎日病院で
父を見守ったが死ぬのを待っている
みたいで嫌だったので整体で習った
愉気を、父の冷たくなった足に
わたしは一生懸命した。父はずっと
意識はあり、来たよと言えば首を振る。
のどが渇いた?と聞くとうなずくので
看護婦さんを呼んで耳かきの大きいの
みたいので口の中を水やポカリで
何度もうるおしてもらった。
良い病院でもう何もできない父に、
少し前までお気に入りでずっと握って
いた呼び出しのマイクみたいなボタンを
看護婦さんがここにあるからねと
いつも父の手においてくれた。

それから2回ほど、帰宅してから
病院から電話があったがその都度
血圧や呼吸などの数値も平常に
戻っていた父。手も足も看護婦さんに
寝たままお湯で洗ってもらい年末には
髪も洗ってもらって、新年を迎える
ことができた。心拍は徐々に落ちて
来ていたがそれでも50くらいあった。
血圧も70〜120とか平常。

お正月あけて5日、いつものように
父のところから戻りしばらくしたら
病院から電話。心臓が止まりそうと。
慌てて飛んでいくと心拍数が20
くらいになっていた。顔色はもう
土気色。最後の時が来たんだなと
思った。そして母とわたしが見守る
なか、静かに父の心臓がとまった。
最初のころ、夜中の呼び出しはいや
だからねと言っていたのがちゃんと
わかっていたんだと思った。7時
45分くらいだった。

19日から絶飲食で18日目だった。
文字通りろうそくの火が消えるような
静かな最後だった。前日までは
意識もあり、呼びかけに対して
かすかに頭を動かしていた。5日は
手を握ってももう握り返せず
わたしは一生懸命父の冷たい足に
愉気をしたが指先がリズミカルに
動いたのでわかっているんだと思った。
それが父との最後のコンタクトだった。

たくさんの動物たちを看取ってきた
せいか、自分でも驚くほど冷静に
見送ることができた。父が行く時は
「パパ、立派だったよ、最後まで
自分で決めて行くんだね、こっちは
大丈夫だから安心してあちら側へ
行ってね」と声をかけた。今も涙が
出ない。

子供のころはおっかない父だった。
孫が生まれたことでわたしと父の
関係は変わりまた父の場合認知症が
優しく人にありがとうと言える
良いおじいさんにかえていた。
でもやせこけて骸骨みたいになった
父はベッドで寝ている姿も亡くなった
姿もわたしには別人にしか見えなかった。

ずっと食べられなかったのが11月の
入院から改善され出されたものは
完食するようになり、ハタチになった
ののこの写真もできあがって病室の
父に見せることもできた。あんなに
大変だった水様便も良くなっていた。
88歳、大往生だったと思う。

葬儀一切は父が口癖のように
必要ないと昔から言っていたので
家族だけで平服でだびに付した。
家にあってかっこだけで何もして
なかった仏壇も中の田舎の祖父母の
位牌も広島の仏壇屋さんに供養
処分を頼み、仏壇があったところに
父の遺骨を置き昔からお線香をたくと
臭いから消せという人だったので
良い音がする現代風のおりんだけ
買っておいた。これからわたしは
父が40年前に買い墓石だけ建てていた
お墓も墓じまいして両親の希望で
樹木葬を探す予定。まだまだきっと、
これからやることがたくさん出て
くるのだと思うが。

 12日久しぶりに帰宅すると猫たちは
クールだが犬たちは気が狂ったように
大騒ぎ。散歩に行ったり久しぶりに
織機をいじったりいつもの暮らしに
戻りつつある。父の気配は全くない
のでまっすぐあっちの世界に行った
のだと思う。

母もあきらめがついていたので
元気で何と一昨日iPhoneにした。
父がわたしのiPhoneが欲しくて
メモにスマホと書いてわたしに
買ってきてと何度も渡してたので
母が使えば父もうれしいだろう。
でも使いこなせるのかな(^^;)

そんなわけでわたしも母も元気なので
他ごとながらご安心ください。
なお、両親の強い意向でお花等、
お悔やみは辞退させてください。
生前はわたしの父のことを気にかけ
アドバイスくださったり心配して
くださったみなさん、どうもありがとう
ございました。父も今頃きっと
お礼を言っていると思います。
本当にありがとうございました。

IMG_7327.JPG
(2016年3月21日の写真)

posted by ミチル at 01:40| 山梨 ☁| Comment(6) | お別れ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする