馬たちのことは、お盆の後に出せるはずだったのが
ダメになった。今まで応援してくださっていたみなさん、
ありがとうございました。経過を書きます。
7月17日に覚悟を決めてお母さんに会いに行ったことは
ここにも書いた。お母さんは涙ながらにやっと出すことに賛成して
くださり、26日おじさまの方へお母さんから直接話をして
くださることになった。ところがその後の連絡が一切ない。
話はどうなったのか。仕方がないのでこちらで確認するように
馬たちはお盆の後連れて行くことになりましたとか、里親さんも
改めて大切に飼ってくださるそうですなどと連絡するも、音沙汰なし。
そして26日、朝霧に出された音二郎に会いに行った。
それも書いた。書けなかったのはたまたま会えたオーナーに
里親さんに出すから音も迎えに来ますと言ったら
そう簡単には出せないよと言われたこと。それはおじさまの
話と全然食い違う。おじさまはいつでも返せるとずっと言っていた。
オーナーは感じの悪い人。自分的には二度と会いたくない人柄で
春さんを好きだったと言う割に、名前も知らなかったのには
二重にびっくり。
お母さんからの連絡がないまま、お盆の後に連れていくことに
なったし、おじさま抜きに馬運車の話を進めても悪いと思い
8月3日おじさまに切り出した。おじさまの方には以前から
たびたび里親さんがいる話もしてあった。前回会った時
お母さんの承諾を得たことも伝えてあった。そして26日、
お母さんが話してくれているはずだから。ところが最初のうちこそ
ごにょごにょと、亡くなった春さんと馬たちの絵を描いてやるのに
頼んだ絵描きがお盆のころに来るから云々と言っていたのが
口調も変わり、なんで出す!?あそこにおいておけばよい、
あれは(梅)ほっぽっておけばいいんだから。音だって
簡単に連れて来られない。バクロウの世界はお前たちなんか知るすべも
ないだろうとすごまれた。お母さんがおれに言えるわけがないとまで
言われた。要するに馬たちのことからは手を引けと言われた。
帰宅してすぐお母さんに電話。おじさまに言われたこと、
あんなにきっぱりと。そのように26日に打ち合わせしたのでは
ないかと思ったと言った。お母さんの方はあら、おかしいわね、
ミチルさんたちと相談してくださいって言ってあるわよ、だって。
さらになんで今頃急に里親の話がでたのかしらだって。
交通整理をしてくれるはずだった方は長い間連絡もとれず、
一体なにをしていたのだろう。里親さんの申し出は2月の時点で
伝えてある。わたしたちは本来馬の里親だけを探せば
良かったはずだった。二人に伝えることまでやることになって
お母さんは難しい人、一筋縄ではいかない人と聞き、おじさまの方は
馬がかわいいではなく、春さんを死なせてしまった責任感を
感じてお母さんに対するメンツから馬をおいていたから
おじさまの方にせっせと通い、春さんの馬たちへの思いなどを
伝えお母さんに義理だてしなくてもよいのだとわかってもらえるように
話をしてきた。
それからもうなすすべもなくなり、里親さんの方に断りの
連絡を入れるつもりで、相談に乗ってもらっていたステマル先生に
すぐ電話。先生は獣医師という立場から、持ち主の名前の書かれた
健康手帳がある限り馬はおじさまの好きにはできないから
もう少し、里親さんとの約束の期限のお盆までまだあるから
あと少しだけがんばってみてと言ってくださり、とうとう
わたしたちはステマル先生に助けを求めた。同時にゆーじさんにも
報告。ゆーじさんも傍観者から当事者へなると力強いメールを
くださり、ステマル先生とともに色々調べてくださった。
ステマル先生にお母さんとおじさまの連絡先をお知らせし、
先生はすぐお母さんに電話をしてくださった。やっとつながり
なんと2時間もお話をしてくださったそうだ。わたしはそれまでに
いろいろ話をしていても2回、お母さんの方から電話を切られたことが
あった。そしてまったく偶然なことからお母さんが今まで
故意に隠していた春さんのブログを見つけ読み、数日後
(
http://newhorse.exblog.jp/)
夜中にステマル先生に電話をしてきたそうだ。やっと春さんの
気持ちがわかった。ミチルさんたちの気持ちもわかった。
馬たちと一生暮らしたいと思っていたこともわかったから
そのことをおじさまに伝えるのが親の義務だ、里親さんには
お盆過ぎと言ってあるのに間に合うか、と連絡があったとうかがい
わたしは初めて心が休まった。その時馬運車の話も出て
皆でお金を集めましょうとまで話をしたそうだからもう
大丈夫だろうと。。。
おじさまには17日に会いに行くと言っていたそうで
連絡を待った。ところが待てど暮らせど先生のところに
連絡がない。先生からはお母さんを信じて待ちましょうと言われて
いた。その間やっと交通整理をしてくださっていた方と連絡が
ついた。しかしことの緊急性を説明してもわからない。
さらにお母さんからはたびたび連絡があると言う。そして
新しい情報として「里親さんの方を見て、おじさまに話を聞いて
どちらが良いか決める」と言っているとのこと。この時点で
?????????今まで何を見てたの?と正直思ってしまう。
だがしかし実際見て比べたら一目瞭然の環境なんだからと
里親さんの方にその旨連絡し、お願いした。快く承諾していただき
日程もいただいた。しかしお母さんからは相変わらず連絡がない。
そしてとうとう先生がお母さんにメールをしてくださったのが
一昨日。そして昨日お母さんから先生に電話。
「馬たちはわたしの名義にして、これからもずっとおじさまの
ところへおく」おじさまはサクテイもちゃんとやってくださる。
春さんだと思って大切にしてくださる。実は周囲のご近所の散歩の方
たちから情報が入り、梅はステマル先生の手紙がおじさまに届く
1日か2日前の8月の10日か9日、朝霧の音二郎のところの
オーナーが馬運車で来て連れて行ってしまったという。さらに
7月の終わりから1週間ほど餌もなかった。それをお母さんに
伝えてもそんなはずはないの一点張り。予防注射もしてるって
1月にしたのは伝ピンですよ、と先生が教えてあげてもわからない。
馬がどれほど大変な生き物か、世話をすることがどれほど
大変かわかっているのか。しかもただでおじさまにいつまで
見てもらえるとお考えになっているのだろう。
おじさまの方もわたしたちにはおれの目が黒いうちはあそこから
出さない、とすごんでいた割に、わたしたちが具体的な話を
出した(8月3日)の数日後、梅をも出している。これはもう
バクロウ間で何かしらわたしたちには言えない利害関係があるとしか
思えない。
しかし今回のことは結局わたしたちの誰をも、身内あるいは
身内に近い方たちのだれひとりとして、最初から信じてくれて
いなかったということ。この8ヶ月間寝ても覚めても馬たちの
ことしかなかった。しかしこういうことになり、自分は何を
やっていたのだろうと思うと誰かにぶんなぐってもらいたい気持ちに
なる。
簡単なことなのだ。馬たちの環境が悪い。もっと整った環境が
ある。なおかつ、亡くなった人の気持ちのこもった馬たちだから
その気持ちを大切にしてあげたい。簡単なことがなぜ
わからないのだろう。わからないのではなく、わかりたくない、
人はそういう気持ちも持ち得ることを今回のことで知った。
一番申し訳なかったのは馬たち。幸せに生涯を生きられる場所が
あったのにもかかわらず、連れて行ってやることができなかった。
春さんの気持ちをおそらくお母さん、おじさまなんか全然知らない
気持ちを、わたしたちは知っている。彼女が生涯を守ると決めていた
馬たちを守れなかった。もはや少しでも長く生きていることを
祈ることしかできない。そして里親さん。この里親さんがいたから
こそ、めげそうになってもがんばれた。馬の里親なんて絶対いるわけが
ない。さらに乗馬クラブなどでなく、経済動物としてでなく、
春さんと同じように庭で生涯を飼ってくださる里親さんとの出会い。
きっと春さんが探し出したのだと感じた。わたしたちを信じ、
運命の出会い、とまで言って待ってくださった里親さん。
本当にごめんなさい。そしてずっと応援してくださった
みなさん、ありがとうございました。最後にステマル先生、
ゆーじさん、最後の最後まで本当にありがとうございました。