2009年06月12日

ここ10年ぶち当たってばかりいる。生まれつき能天気だから
渦中にいるときは無我夢中でもがき、ひたすら脱出を
試みているから、ことの重大性にあとから気がつくことが多かった。

それでも7年前の義母の病死から、自分の望んだことが
かなわないことがあるということが、こんなにぶいわたしの頭でも
ぼちぼちわかってきた。義母の逝去から半年もたたないうちに、
大好きだった、わたしのことをわたし以上にわかってくれる
友達がやはりがんで亡くなった。

それからひょんなことで馬たちのいるところでボランティアを
することになった。誰もがおかしいと思うことがまかり通り、
かなり本気でやりあって精神的にも物質的にも散々な思いをした。
友達になった馬が、、、わたしは救うことができなかった。

さらに、10年がまんした隣家のじいさんが、とうとう警察沙汰を
引き起こし、義母が残してくれたお金と父がわたしにこつこつ
貯めてくれていたお金で、誰にも迷惑をかけない、誰からも
いやがらせを受けない山の上に土地を借りて家を建てた。
これがまた大変だった。何しろほとんど詐欺のような建築業者、
わたしたちが支払ったお金は自分の借金に流用された。
それまでは大の仲良しだった。。。お金だけとられ工事は
一年以上も放っておかれ、始まっても結局途中で投げられその後は
自分たちで自腹で建てた。そこでまたやっかいなおじさんに、
NTTが嫌いだからとどんなに頼んでも電話を引かせてもらえない生活。
これは想定外で引っ越しを決めてから発覚し、ほとほと困った。
さらに資金は建築を頼んだやつにすっかり渡してあったのに、
水道の工事費用はわたしたちから取った。200まんえん。
道を通さないぞ、と脅かされて。。。

その家で何とか暮らしが落ち着き、気持ちも切り換えることで
やっと平和な暮らしがやってきた矢先、土砂崩れで工房が全壊。
工房は建ててたったの1年、母屋はちょうど2年だった。
5ヶ月間も動物たちを預かっていただき、放浪の毎日。
虎の子の保険金のみで引っ越せる場所を探しこの家に移ったのが
去年の1月末。動物たちも新しい生活になれ、銀花もまた散歩に
行かれるようになり、友達も遊びに来てくれるようになったところで
凍結していたリニアの再開。

さらにあちらの家を30年来の友達けんちゃん夫妻に借りてもらい
心の一区切りができたところで、ほんのちょびっと横切るだけの
土地の借地料をいきなり3倍もの値段に値上げする、と強制的に
宣言された。これがまた村でも有名な偏屈親父。崩れた山も
そのおやじの山なので、かき出し費用70まんの請求はできると
弁護士に会いに行って確認した。それを持ち出してもまったく
聞く耳持たず、裁判でもなんでもやれ、の一言。
そうそうはいないであろう困った人がこの村にはこんなにいるのか。
というよりなぜ、そんなのとばかり当たるのか。

そして、、、一番信頼しわたし的には一番の友達だった春さんの急逝。
これは決定打。これ以上の悲しみは今までに経験したことがない。
そしていま、彼女がどれほど彼女の動物たちを愛していたか、
切ないほどわかっているのに動物たちの幸せを守ってやることが
できない。わたしは情けなさ過ぎて泣くこともできない。

しかし生きているということは本当に山も谷もある。
からださえ元気なら乗り越えることができるはずだ、といつも
呪文のように唱えている。というより、どんな山でも谷でも
歩き続けて越えて行かなくてはならないのが生きている、ということ
なのかもしれない。大好きだった春さんは1月に亡くなって
しまったけど、わたしは生きて行かなくてはならない。
 わたしたちは元気だ。世の中には自分の努力ではどうにもならない
ことが残念ながら、ある。それは生きていたいのに急逝してしまう
ことが筆頭だと思う。わたしは生きている。たくさん荷物があって
よたよたしながらも、今日も生きて呼吸ができている。
情けない人生、ここまでくればそのうちひとつくらいは
かなうと信じたい。それならばこれだけ、梅太郎が幸せな
余生を送れますように。。。それがかなうのであれば
もう少しの荷物をわたしにください。

 落ち込んでる友達、身内のことで苦労してる友達、
みんな一緒に今生きて、同じ空の下で呼吸している。こんなに
恥をさらしてがんばろうね、なんて言葉はとても言えないけど、
これからも一緒に歩いていこう。

元気が出る子供たちの絵。無垢な気持ち。純粋なたましい。
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posted by ミチル at 23:04| ☔| Comment(6) | 田舎暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする