2008年08月26日

動物の心

 動物に心はあるのか。。。なんか、昔こういう
題名の本を読んだような記憶があるけど、忘れた。
心ってなんだろうと思ったらその言葉、その発想
そのものが人間の側から出てるものだし、人間が
心と感じることができるものを動物たちに見出すと
したら、それはやっぱり人間の心を通してなんだから
動物たちに心を与えるのは人間なんじゃないかと思うのだが
どうなんだろう。

私たち人間が察知できないところでの動物間での
心はあるのだと、あえて思う。でもそれは誰も断言も
確信も持てないのではないか。まして、その部分に
介入すること自体冒とくのような気もする。

で、私たちが感じる心はあるのか。動物たちは神様に
心を与えられてはいるけど、人間に支配され、
命を自由に遊ばれてるから隠している。どう、この答え??
だって、たとえばお肉にされる動物に心はあるんだろうか。
たとえば同じ牛だとして、片方は人間が家族のように
かわいがっていたとする。片方は餌と、排泄物の世話だけの
牛だったとする。で、たとえば目の前で愛情たっぷりの
言葉をかけて、やさしいしぐさをして、喜んだり
感情を表すのはやっぱり家族の一員として飼われてる
牛なんじゃないだろうか。(そうじゃなけりゃ悲しくて
やってらんねー)

以前、かわいそうな馬の公園でボランティアを
してた時、いつもいつも下くちびるだれんだれんで
ぼーーーっとしてる馬がいた。人には従順、でもそれは
頭が働いての従順ではなく、その子の扱われてきた
経験からの従順。反応もなく、ただ、おとなしく
素直に背中に人を乗せる。そのころ本当におバカさんだった
私は(今は真実におバカさん)自分の馬でもないのに、
話しかけたりぶらしかけをしたり、その馬がかわいくて
かわいがっていた。ある日いつものように公園に行くと、
明らかに私の姿を認め、柵のところに寄って来た。
私を覚えてくれたんだ、とその時は有頂天になって
ますますかわいくなったのだった。
その馬はそれまで家畜のような扱いを受け、ひたすら
子供を産ませ続けられてきた馬だったらしい。
それが少しずつ人間に対して心を持つようになった。
 ところが、公園の管理人が入れ替わったこともあり、
腰が少々悪かったその馬はあっさり放出。かわいそうで
追跡したがもう、見つからなかった。

私は反省した。第一に、自分の動物でもない動物と
友達になってはいけない。それは自分自身も悲しい目に
あうし、その子に対して責任が生じる。世話はしても、
心を開くような態度を控えるべきだった。
その子は人間に心を開いて来たところであっさりと、、、
お肉にされてしまったのだ。。。。。

以来、およその動物に対してちょっとだけ警戒心を
持つようになった。私が引き受けられないのであれば、
その子が今以上に幸せになれない環境にいるのであれば
下手に手出しはしない。与えたものを取り上げられる方が
最初から知らないでいるより、ずっと不幸だからだ。

だから、縁があってうちに来た子に関しては
心を与えてしまった以上は、どんなことがあっても裏切れない。
何が幸せか、そんなことも本当はわからないけど、
とりあえずニコニコ笑っていられる生活を保証してやらなくては
ならない。死んだような眼に、悲しい無関心、無表情に
戻すことは絶対できない、といつも思う。もしか
うちの動物たちがこの文を読めたらいっぱい文句が
あるだろうなー。・・・ナイショね!

今日も雨でお留守番銀花、きょとんとして
かわいい。放水で慣れたのか、小雨の中、平気で出てくる
ようになった。
080826_0911~0001.jpg

タオルが大好きですぐ、どこか持ってくQちゃん。
そんなに好きならどうぞ♪
080825_0809~0001.jpg

ダイにミルワームが届いた。今度はダイがいつも
選ぶサイズ、一番小さいサイズにしたら一度に
18匹も食べた。
080826_1015~0001.jpg
posted by ミチル at 23:33| ☔| Comment(15) | 動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする