
2007年12月31日
ありがとう

2007年12月30日
2007年12月29日
メンテナンス、きりなし

2007年12月28日
行ったり来たり
午前中、おじさんと落ち合ってやっとこカラオケセットを出した。余りの重さに大人4人がかりで傾斜地の畑をよたよた運んで軽トラの荷台に板を渡して何とか積み込んだ。これでリビングの棚があいたので私たちはDVDレコーダーやプレ2などを入れられる。午後からは新年早々、銀花柵や小屋の移動を手伝ってくださる予定の力持ちのおじさんが馬喰のおじさまと一緒に見に来て下さった。テンポの速いお二人は、家の周辺を調べて仕事の段取りをつけるとこちらに寄ってお茶でもと言ってるうちにさっさと帰ってしまった。一旦もどり今度は塗り残したリビング半分のニス塗りと、「何でこんないい加減な仕事するんだ!」とコーッを怒らせた地面から1mくらいの高さに設置されている水道管に凍結防止のパイプを買って来て2人で巻いた。地面に埋めて立ち上がりだけが露出するように設置するのが当地のような寒冷地では当たり前だ。家をいじりはじめると別荘として、別荘だからこそ、いかにいい加減な仕事か私にもわかる。床もテーブルの下のマットをずらすと表面がはげてベニヤが浮き上がっているのを前オーナーが丁寧に直してあった。見た目だけの仕事に対し、大工仕事に関しては素人の前オーナーが一生懸命養生した様子がだんだんけなげに見えて来た。
2007年12月27日
丁寧な夫、そうでない妻


2007年12月26日
2007年12月25日
クリスマス
2007年12月24日
happy Christmas day♪


2007年12月23日
本運びました、玄関に(笑)



2007年12月22日
2007年12月21日
光はISDNより遅く…(笑)
富士ケ嶺のおじさまのところへ行くか、軽トラ4台分運んでしまった大月の借家の荷物を引き上げに行くか、迷っていたら1月からのモニターに申し込んであった光の会社が端末機の取り付けに来た。光の到来を私は何年前から待っていただろう。モニターだけ1月からの試験放送になるのだが多分その頃私たちはここにいないんだろうな。最後の最後まで見えない何かにイジワルされてる気分。さらに相変わらず続いている反対VS賛成バトル。使いたくない人は使わなければ良いと思うのだけれど使いたい人の権利を阻止する電柱を貸さない作戦はいかがなものかと思う。数年後のデジタル放送も見れるからネットを知らずに反対していてもその時になったら絶対後悔すると思うよ。その時引きたくても今度は有料になるんだからね。告知端末(少し前の村内放送のレベルアップ)が本来の目的だそうで市の提供であるため一戸に一回線。今回急に引っ越すことになった家は住民票のない別荘だったため引かれていない。さらに秋山地区は全て工事が終了していると言う悲しい現実。これだけ待った光が目の前にぶら下がっているのに。しかし今度は電話線を通してくれないおっさんはいないから…ISDNなら使えるもん…しくしく
2007年12月20日
慌てる乞食は平謝り
午前中古くから借地別荘にお住まいのご夫妻がいらした。何度も来ていただき先日訪ねたお宅だ。わざわざ野の子にケーキを持って来て下さって近くに来てくれて良かった、遠くに行かなくなって嬉しいと言って下さる。ありがたいことだ。午後から今日が最後と掃除にいらしているオーナーご夫婦を訪ね改めてお礼を申し上げた。もう十分すぎるくらいきれいで、さらに業者に窓拭きをさせていた。…私の貧乏性の手はいつも何かしたくてせっせと首巻きを編む。庭でカビて行くのが惜しまれる高価な絹糸の手触りは技術を隠す。何かちょっとお礼をしたくても今私たちには何もないのでたくさん編んだ首巻きの一枚を奥様に差し上げた。その足で仲介のおじさん宅へ寄り実家の父に保証人になってもらった借地の契約書を渡した。今日で別荘は上も下も私たちのものになった。それから大月に行き9月から借りている家の断りに行った。家主のおじいちゃんは本当に良いおじいちゃんで家がどうにも直しようがないことは言えなかったが道が上がれないことと偶然近くに移れる家が見つかったと話したらそりゃ良かったと言ってくれた。土建屋さんから始まって私たちの早合点のせいで人さまに迷惑かけまくりである。皆さんごめんなさい!
2007年12月19日
クリスマスは平和
2007年12月18日
動物効果
2007年12月17日
2007年12月16日
久しぶりのお客さま
午後から親しくしている歯科医の先生がお嬢ちゃまと遊びにいらした。と言うより災害にあってからお見舞いに来てくださると言う申し出をずっとお断りして来ていた。雨の季節が終わらないと山道に慣れていないと道も心配だったからである。先生はむき出しののり面を見て驚かれ、家の動物たちが空っぽなことに改めてため息をもらされた。皆さんにお気の毒としか言えないとよく言われるが当の本人たちには何もわからない。すいすい楽しく泳いだり立ちはだかる壁を砕いたり、人生忙しいものなんだとだけ思う(笑)久しぶりに本音も話せてすっきりした。遠くに移らなくて良くなり、我が家のニンゲンが唯一かかる歯科の主治医をこの先もしていただけることに感謝した。
2007年12月15日
まだ現実味がわかない
今日初めて管理人のおじさん宅でおじさんとオーナーとうちと3名で契約書の確認をした。来週早々にオーナーと一緒に司法書士さんのところに行きそこでの正式契約になる。私の方の現実感がないまま話がどんどん進んで行く。お金持ちのオーナーご夫妻はテレビやほぼ新品の冷蔵庫、エアコンやら特注のベッドなどみんなおいて行ってくれるそうだ。電化製品のどれもうちにはない高級品だ。しかしカラオケが大好きだったそうで100万円くらいかけたカラオケの装置…誰かいらない?(笑)午後からは多分最後になるであろう、水源の掃除に家族で出かけた。冬になり水量がだいぶ減っていた。数年前から別荘に住んでいる以前からの知り合いが私たちが留守の間に何度も心配して来てくれていたのだが一度も会えなかったのでこちらから訪ねた。電話では上九に行くと話していたので近くの別荘と決まりとても喜んでくれた。愛犬2頭を相次いで亡くし新たに甲斐犬を飼っていた。かじらないけど怖いからわんわん吠える、手を出すと後ずさりするくせにパパのそばにいればニコニコしてさわらせてくれる様子がうちの犬たちを彷彿させて笑えた。手を伸ばせばいつどこにでも、優しい手触りのみんなとの暮らしまであと一歩だ。
2007年12月14日
小さな港
気持ちだけおいて行かれたまま難破船ミチル号はどんどん小さな港に近づいている。支払い方法の確認と農協へ連絡を午前中終えて、午後は先日訪ねてお留守だった富士ケ嶺のおじさまのお宅へ行こうと電話をしたらあいにくお出かけ。あいた時間はせっせと薪の用意。今度の家では薪ストーブは使えそうにないのですっかり使いきらないと。まだ工房の柱や板がたくさんある。時々値段が貼ってあるのもあったりして苦笑い。新潟の方は大変だなと思う。生涯1度だってあってはならない不可抗力の災害に時をおかず2度も見まわれ物心共にどんなに大変だろうか計り知れない。私たちの今度の家は避難生活の延長上にある。みんなと安心して暮らせる住処。まずまず上等。贅沢言ってる場合ではありませぬ。
2007年12月13日
地主さんにご挨拶
朝一番に、管理人のおじさんと土地の地主さん宅へ行った。今日その場での契約ではなく、ご挨拶と契約項目の確認だった。野の子が保育園のころ、祖父母たちはしょっちゅう遊びに来て保育園に昼前に迎えに行き皆でお昼を食べに行った馴染みのうどん屋さんのご夫妻だった。今もコーッの実家にはそのうどん屋さんの座敷で、亡き義母と小さかった野の子がニコニコしている写真がたくさん貼ってある。こたつから顔を出した猫ちゃんを私はずっと抱っこさせてもらっていた。話も問題なく進みあとは正式に契約書を交わせるだろうと思う。その足で役場に行き移転先への光ケーブルの引き込みのお願いに行った。先日電話して返事がなかったからだ。こちらはすでに地区の工事は全て終了しており難しいとのこと。事情を話してなんとかならないかと重ねてお願いしたが…検討してみます、はむなしく聞こえた。
2007年12月12日
ペットのロバは例外
別荘地と言っても、小さな手作りの個人管理の別荘地の契約書に目を通した。地主側には決して不利にならない、これでもかこれでもかと続く特約条項の羅列にちょい、むかつく。借り手はこんなにもへりくだって暮らさなくちゃならないのか。ここも借地だが当地に来てから3代に渡って懇意にしている家なので同じ借地でも違う。しかし管理人のおじさんは良い人である。今日借地の契約書に署名捺印して私が届けるだけだったのだが直したいところがあれば言ってと言われていたので昨夜じっくり目を通し、どうしても聞いておきたい箇所が3つほどあったので手をつけないままの契約書を持っておじさん宅へ行った。一番引っかかったのが消防団への寄付の記述。当地に移ってから毎年年末に集めに来る寄付金3000円を支払って来た。しかしこの度の土砂崩れには消防団は一切来なかった。私たちがよそ者だからと諦めはあったが、じゃなぜずっと寄付金取りに来てたのと言う疑問は村友の1人がそりゃおかしい、と言ってくれたことで強くなっていた。さらに近隣の市町村役場で確認した限りよそ者地の者は一切区別はないと言う。払う記述があるなら、助けに来てくれると言う記述も私たちは欲しかった。おじさんは私たちが自腹で土建屋さんにかき出し作業を頼んだと知り驚いた。もう二度とこんなことがあっては困るが災害時のサポートを知っておくことは、私たちの土地探しの重要ポイントになっていた。こちらの部落では実際に別荘地内で何度も消防が救済をしてくれているそうで安心した。犬猫は各種1と書かれた項目もドキドキしながら尋ねるとうちの場合室内飼いだから問題なし。家畜飼育の禁止は『ペットのロバに限り例外』と変えてくれるそうだ(笑)そしてその場でコーッは署名捺印した。明朝早く、仕事前の地主宅へ行き契約書を渡し別荘のオーナーから借地権を引き継ぐ。
2007年12月11日
11月28日からのこと
もうここで皆さんにお知らせできるのだろうか…私のアタマは相変わらず鈍ったままだ。先月28日突然、予想0だった村内の、売りに出ている築14年の借地別荘が見つかった。折しもマーキングを続けて来た日獣医前の立ち会いが予定されていた週だった。期待もなく見に行くと思いのほかずっと良かった。そして日獣医前は予定の立ち会いがダメそうだと連絡が来た。売り別荘の方はその週のうちにオーナーに会え室内も見れて交渉開始。3日にはすぐ東京から親たちを連れて来て見てもらった。値段もギリギリ保険金内。オーナー夫妻はお金持ちだった。別荘の管理・仲介をしてる村の馴染みのおじさんには何かとトラブルの絶えない別荘地だからずっと上で半永住してる方にロバ飼育の許可をとるようにと口を酸っぱくして言われた。何度も訪ねたが留守で東京のご自宅に電話し6日に連絡がついた。ロバ飼育はあっさりクリア、同日三井に断念の電話を入れた。8日再びオーナーを訪ね具体的な話を進めた。そして昨日、お世話になった方々にご挨拶とご報告に富士ケ嶺に行って来た。300坪の土地の方でお世話になった不動産屋さん。地域のことを色々教えてもらった乗馬クラブ。たくさんアドバイスをいただいたもと不動産屋のおじさまはお留守だったので後日行く。今朝早く仲介のおじさんとオーナー双方から電話。購入に向かってどんどん展開して行く。本来うまく行くことは障害があるなし関わらずこうしてとんとん拍子に進むのだろう。しかし私はなぜか心が重い。なぜだかわからない。この地を離れる決心をしたからか。自分の土地ではなく借地だからか。しかしこんな避難生活に終止符が打てることは何と言っても嬉しい。晴れて購入できたら犬猫仕様の改築と銀花小屋の建設を急ぐ。早くみんなを迎えにいってまた団子みたいに暮らしたい。
2007年12月06日
折り返し地点
移転先が見つからないまま12月を迎えた。散々調べた日獣医前の立ち会いは、承諾してくれていたはずの隣接地2名に断られ、1名も未だに連絡がつかず今週中に実現するはずだった境界線の確認ができなくなった。結局正確な測量のない、登記上の図面だけで購入せざるを得なくなり…今日、散々悩み三井に断りの電話を入れた。すんなり行かないことをおし進めることは努力とも、一方無理やりとも言えるだろう。大した努力もして来なかった人生、すんなり進める方を無意識に選択して生きて来た。しかし富士ケ嶺はきっといつか、暮らしたい土地だ。落ち着いてじっくり土地探しできるようになったら探しに行こうとコーッと話した。先週唐突と同じ村内に売りに出てる中古の借地別荘が見つかった。交渉中だがここが決まれば万歳なのかもしれない。いや、ものすごくラッキーなのかもしれない。アタマがおかしいから嬉しいのかどうかも私はわからなくなっている。