
2007年10月31日
2007年10月30日
引き続き土地探し
上九の、紹介された土地は良い場所だ。目の前が富士山で朝日がかかって輝く姿はダイヤ富士と呼ばれ名所になっているそうだ。もっとも私は富士山には全然興味ないが。ヤフー電話帳で調べて不動産屋に電話をかけまくった。上九はほとんど農地で宅地はほとんどないので紹介された場所はかなり掘り出し物らしいことがわかった。ちょっと資金もギリだし何よりも大金で土地を買うのだから他にあれば見たい。1ヶ所だけあるようなので金曜日行ってみようと思う。何と、日獣医の農場の目の前だそうです。上九一色村は市町村合併で今は富士河口湖町になり富士ケ嶺(ふじがせ)に改名されている。やはり例の騒ぎでイメージが悪くなったのだろうか。
2007年10月29日
泣きたい気分
また上九に行って来た。このところ上九参りが続いている。今日は売りに出ている土地の前の家と、役場にも回って水道の引き込みや浄化槽のことなど聞いて来た。3時頃帰宅して昨夜から電気系統の故障で動かなくなっていた幸ちゃんのお仕事車の引き取りにでかいトラックで馴染みの自工のおじさんが来てくれた。前後して唐突と光の引き込み工事の業者が来た。しかし使えるのは来年4月。モニターになっても制限つきで12月だそうだ。夜は崖崩れののり面に緑化計画で災害防止の意味もある、草の種のシートをかけてくれる申請をする予定だと、仲良くしてる村友の旦那さまが説明に来てくれた。さて、どうしたもんだろう…土砂崩れから私たちは先走り過ぎて、考えナシな衝動的な行動で失敗を繰り返している。まるてイジメのように、やっと決心したことを揺することが続く…。ちなみに上九の光引き込みは3年後の予定だそうだ。今朝、お金だけ取って仕事を投げられた知人の家に1年ぶりに、もう一度請求書をコピーして催促に行った。工房はたった1年でなくなってしまったけど工房は代金も支払っていながら屋根と床だけで投げられあとのすべては材木もうちで買って幸ちゃんが1人でこつこつ建てたのだ。手間賃は抜いて材料費と、あちらに行っても取れないからとうちに請求され、水道屋に支払った大金。この金額が今、手元にあれば私たちの選択肢は広がる。去年と同じことを言って、去年と同じ返事が返って来て、かつて仲良しだった奥さんが去年と同じように泣いた。こんなことは本当にもう、終わりにしたい。言う方はもっと辛いよ、泣きたいのは私だよ!
2007年10月28日
実家から上九まで
2007年10月27日
2007年10月26日
2007年10月25日
2007年10月24日
銀花の素敵な表札
2007年10月23日
犬の匂い

2007年10月22日
2007年10月21日
ラッピングハウス
2007年10月20日
庭の荷物
一番安いプラケースを10個買って来た。裏庭に積みっぱなしになっている荷物を工房のコンクリの基礎の中に移動した。かき出し作業の時から青いシートで覆って放置したままだった。雨にぬれて使えないものはどんどん袋に詰めてゴミ出しの軽トラに積んだ。基礎の中は大きな山が二つできた。ここに移った2年前、まだ工房ができてなかったので駐車場に積み上げてあった、同じ状態だねと野の子が笑った。部屋の中も片付けてみんなが帰って来る準備をしなくちゃ。何でもかんでもプラケース。なぜならかけしょんに強いから〜♪
2007年10月19日
イノシシ・ステップ

2007年10月18日
現実

2007年10月17日
変わり者が住む場所
山暮らし遍歴は昨日書いた通り。山間部の生活は私が育った東京とは良い意味でも悪い意味でもまるで違う。50年くらい昔の感覚が、今もごく自然に受け継がれ実生活の中で普通に流れている場所。良いところもあれば受け入れがたい部分もある。良く都会の友達に動物飼うのにいいでしょうと言われるがこれはとんでもない間違いである。動物は家畜であり人間の役に立つ使役動物が一般的な感覚。家族同様のペットと捉えている人は皆無に近い。だからうちは変わり者なのだ。変わり者が周囲を気にせず気楽に住むには集落から離れている、もしくは隣接しない広大な敷地で暮らす以外、ない。
2007年10月16日
山暮らし遍歴
昔、絵描き仲間数人と奥多摩の数馬に廃屋を借りた。骨組みと雨戸しかないような家を週末になるとみんなで修理した。無学舎と名付けた廃屋は何とか泊まれるようになり仲間たちの様々な制作活動の拠点となった。渋谷の西武からオファーがあり展覧会をしたりその後も無学舎主催の展覧会や演奏会をあちこちで開いた。月1万円でしっかり楽しんだと思う。平成元年には東京脱出を図った。当時、町をあげて《芸術家村構想》で町興しをしていた神奈川県F町の市役所にせっせと通い廃屋を探した。7年暮らし家主が帰って来ると言うことで2年間探してアキヤマの廃屋に移った。F町は懐具合のよろしいゲージツカの方たちがとんでもなく家賃や地代を引き上げていたので懐具合が非常によろしくない私たちには借りられる廃屋はなくなっていた。その廃屋が2年前まで10年間暮らした里の家である。そこも結局は家主が大規模に修理をしたいから出ざるを得ない状況と、よそ者だからと下手に出ていた隣人に次々ガマンを強いられることに耐えられなくなり思い切って誰もいない山の土地を借りて自分たちの家を建てた。今度こそ、少なくとも野の子が成長し出ていくまで落ち着いて住める家のつもりだった。今までの山暮らしの経験から、ましてロバまでいる状況で私たちが暮らせる場所はそうそうないだろうと思う。簡単には見つからないとも思う。勢いでえいっと引っ越したいが不可能に近い。かと言って、今も私は雨の音におびえている。流暢に構えているわけにもいかないし、だからと言って二度と失敗はできない。良い塩梅が、心身ともに難しいところだ。
2007年10月15日
3級市道
午後から村友が来ることになっていたので、午前中大月市役所に行って来た。先日3級市道と教えてくれた人は保全課だったので名称は忘れたが道の管理をしてる課に詳しい話を聞きに行った。あの道をあれ以上良くすることはない、雪かきもないと答えは同じだった。それから次に防災課に行って今回私たちが合ったような災害に対する市のサポートを聞いた。大した違いはないが大月では消防団が活躍してくれるのだと言う。それは当地のように、よそ者と地元民の区別はないはずだと言う。役場を頼らない暮らしがしたい。しかし人里離れないと、ロバは飼えないのが現状。なかなか、うまくは行かない。
2007年10月14日
銀花にも会って来ました
行ってきました!
2007年10月12日
うっ…う〜む
気持ちがゆるゆる。寝坊してしまったので昨日春さんに届けてもらった馬運車に荷物を積み込めず、軽トラに一杯を運んだ。昨日役場に電話で頼んだ道に伸びた木の伐採に、立ち会ってくれと言われていたので、午後山道の入り口で落ち合う。役場からは保全課から2人来て今日は写真撮影。山の地主に承諾を得ないと切れないそうだ。今後道の改善があるのか聞いてみた。市道だが…市道には3種類ありこの道は3級、今後何も改善はない、雪かきもしないことをきっぱり言われた。だ、だめじゃぁぁぁん!!…やっぱりね…理由もなく、あんな良い場所を捨てるわけないよ。村友が手伝いに来てくれたが結局彼女のノアは老健において軽トラで迎えに行った。場所は確かに素晴らしいがやはり道も家も大変過ぎる。地元の人なので色々教えてもらって第2便の荷物運びは中止し、競売物件が張り出されてるという裁判所に行ったが私たちが住めそうな場所は、ない。次に市の図書館でパソコンが使えるそうなので行ってみた。パソコン使うにもこの苦労(泣)色々検索するも、条件に合う場所はない。これはもう、じっくり探すしかないか。ぽかっと開いたので明日はsutemaru先生のお宅へ行ってみんなに会って来ます。
2007年10月11日
う〜む…
幸ちゃんは早起きしてお義父さんを、東京から連れて来た。お義父さんは仕事してた50年間で一度もクレームが来たことがない、腕の良い木造の大工さんだった。今まで住んだ3軒の廃屋を全て1人で直した幸ちゃんもさすがに家全体が傾いでどこが本来の姿かわからないほど素人の手による増改築を繰り返された家を前に愕然としている。お義父さんの見立ては予想通り『やめなさい』だった。土台の骨組みがすでにぐしゃぐしゃなのだそうで直しても無駄らしい。1ヶ所直せば全て狂って来ると言った具合。私たちは工房に下りた保険金を家の補修にと考えていた。しかし改めて考えると借家に大金をかけること自体馬鹿らしく思える。さらに問題は道だ。今日、私は1人で軽トラに荷物を乗せて上がった。やっとだ。道がこれ以上改善されないなら友達も宅配便も、誰も上がって来れない。借家を直すなら安い山林を買って小さな家を建てた方が早いかもしれない。ただあんなに良い場所はめったに見つからない。家主がせめて宅地だけ安く売ってくれて道も拡張されれば文句なしだが日当たり良好、危険ヶ所がないなだらかな台地が寂れた理由がないはずはない。とりあえず市役所に交渉だ。
2007年10月10日
かすかな芳香
2007年10月09日
今日は
1ヶ月前の今日、土砂崩れの猛威を前に涙も出なかった。23年前の今日は、結婚した日だった。類を見ないワガママな私がよく落ち着いているもんだ、と我ながら思う。幸ちゃんは口数も少なくどちらかと言えば控え目な人。相方が望む静かな暮らしはいつも、私がひっちゃかめっちゃかにかきまわしている。山暮らししようよも私が言い出した。仕事は時間的に楽なお絵かき教室、も私が引きずりこんだ。第一、孤児院状態のほとんどは私に責任がある…確かに東京でおとなしく暮らしてたらこんなことにもならなかったのよね〜…いや、東京時代猫はすでに20を超え犬も狭い庭ギリギリの2、そして毎朝コケコッコォォォとけたたましく鳴く鶏は私の嫁入り動物だったんだった……これからはあんまりイジワルしないようにしようっと(笑)
2007年10月08日
2007年10月07日
2007年10月06日
薪づくり
廃材の山に幸ちゃんが登りチェーンソーや丸ノコでどんどん切ってぽかぽか落とすのを、私は拾ってネコに積み、工房のベタ基礎の中に井桁に積んだ。かなり積んだ気になっても薪ストーブを使い始めたら数日分だ。廃材の山も大して低くなってないし。久しぶりに体を使って汗をかいたから気持ちがいい。夕方買い物に出た。明日は村の運動会。さすがにエントリーは断ったが野の子は学校から参加しなくてはならないので弁当を作らなくちゃならない。いやだなー。
2007年10月05日
契約書、それから道の補修


2007年10月04日
ポニー子ちゃん
2007年10月03日
げん、良かったね!
何が悲しいかと言えば、それまで幸せに暮らしてた動物が何かの事情からそれまでの平和な日々を奪われることだ。ジャングルから追われる野生動物、優しい家庭から放り出されるペット…だから不幸な動物が幸せになったらすごく嬉しい。げんは飼い主の自覚がないが明らかに虐待犬だった。買われてから5年間も運動場と称する檻から一歩も外に出してもらったことがなかった。自称ブリーダーの飼い主は血統がよいげんを種付け用に飼っていた。さらに悪いことに武道家でもあるその男は犬をぶちのめすことがしつけだと信じていた。良い子ができないからもういらない、とうちで引き取ったげんが様々な問題を持っていたのはげんのせいじゃない。それが今回の土砂崩れから思わぬ幸運にげんは導かれた。sutemaru先生がお世話して下さった里親さんは『かわいそうな犬が出るまで犬は飼わない』とおっしゃっるような方である。そんなパパとママからたった1匹で愛情の全てを受けられる夢のような暮らしである。げんは長く耐えこれでやっとげんの人生が歩める。今日初めて里親さんとメールでお話した。本当に嬉しい。そしてこの状況から幸せをつかんだげんに私たちが励まされているような気がする。げんほんとに良かったね!私たちはげんの望みを叶えてやれなかった。これからはその分もいっぱい幸せになるんだよ!
2007年10月02日
急に、秋
2007年10月01日
嬉しい 特例
小雨の中午前中、役場の人たちが8人でトラック2台で来て入口の大量の廃棄物をみんな片付けてくれた。文句を言ったからやる、でも困るが先日防災課のいつもの人がゴミの写真を撮りに来た時、もったいぶって特別措置みたいなことを言うので私はムカついて言った。「あなたたち、市の職員がヘルメットかぶって様子見に来るのも良いけどさ、手伝ってくれることはできたんじゃないの?私たちが市民税納めてるんだよ」…しかしやはり8人もの人数がいれば何だって早い。ありがたいことだ。私は皆さんに心からお礼を言った。特例かもしれないがこれで前例ができたわけだ。手伝いにすっ飛んで来てくれた春さんも私たちも手持ち無沙汰のうち、作業はトラック2台が2往復、お昼過ぎには全部終わった。持って行ってもらう予定だった廃材は、よくよく考えたら当分ここにいるんだから冬の間の薪に残してもらった。